社会が求めるリテラシー literacy の変化に教育は追いついているのだろうか?
リテラシー literacy というのを辞書で引くと「読み、書きの能力」のことと出てくる。ヨーロッパの近代化の中で、文字、文章を読むこと、その内容を理解して文章を書くことができること。そうした能力が求められ、その能力を身につけるために教育がおこなわれるようになった。
もちろん、日本の子どもたちも学校教育を通してそうしたリテラシーを身につける事になるし、学校教育のひとつの目標はリテラシーを使う能力を身につけることだ、ともいえるわけだ。ただ、このリテラシーは時代とともに大きく変化していく。
今や、母語(日本の場合は日本語)だけでなく、英語やその他の外国語によるリテラシーの能力を求められる。そればかりか、インターネット、コンピューター、スマートフォンなどのIT機器を十分に活用して「読み、書き」する能力も求められるようになっている。
しかも、学校教育がそうした社会の変化、求められるリテラシーの変化に十分に対応できていない。小学生から英語を学ぶようになっているはずなのに、今度の中1の中間試験の範囲は「アルファベットとローマ字」という学校さえある。何を小学校で学んで、中学校につなげているのかわくわからない。
プログラミングの教育も導入されるようだが、ほとんどが現場に丸投げになってしまうようだ。学校の先生も「求められるリテラシー」の変化にとまどうばかりなのかもしれない。高校生でキータッチができる生徒はわずかだし、ワードやエクセルを使える生徒など皆無だ。ましてや、ホームページの作成などひとにぎりの生徒ができるだけだ。
いつ、だれが、そうしたリテラシーを子どもたちに身につけさせてくれるのだろうか。難しい時代になったと思う。そんな中、学校の予復習だけ、入試の合格だけで終わらない「何か」を子どもたちにひとにぎりでも身につけさせたい、とちっちゃな学習塾の塾長として思い続けている。