国語の読解力 つづき

シリーズ化するかどうかは別として、昨日の続きですスマイル

大学入試センター試験の現代文の問題文はとても難解です。問1は論説文です。テーマは、日本文化論やら言語論、芸術論、環境論、哲学論などと多岐に及びます。多くの生徒が「えっ!! なにこの文章雫」とショックを受けるモノばかりです。つまり、本屋で絶体に手を出さないような、そうした書籍のコーナーには足を運ばない、そんな文章の出題ばかりです。

生徒たちは、必死になって文章の内容を理解しようとします。まじめな生徒であればあるほど、一所懸命にそこに書かれている内容をわかろうとします。私はそうした生徒たちに「書かれている内容を決して理解しようとするな、わかろうとするなパンチ」と言います。生徒たちはポカンと口を開けて「こいつなに言ってんだショック」という顔をします。

半年、一年経ち、今頃になると生徒たちは私の言っていた意味を理解してくれます。問1の論説文を彼ら、彼女らはどのように読むか。まず、全体として起承転結がはっきりしていて、結論がほぼひとつの文章なのか、それとも、いくつかの主張がランダムに書かれた文章なのかを把握します。問1の論説文にはこの2パターンの出題があるからです。そして、どちらのパターンなのかによって、自ずと読み取り方が違ってくるからです。

そうです。国語の読解というのは、数学の証明問題を解くのに似ているのです。まずは、全体像の把握。これが出来ないと細部の読み取りが出来るはずはありません。数学の証明問題は結論から考えていきます。その結論を言うために必要なことは何なのか、そこからスタートです。国語の読解もそれとまったく同じです。

パソコンで経路検索をするとき、出発点と終着点を記入し、途中の通過駅やら急行を使うか、平日なのか土休日なのか、条件を設定してさがします。読解もそれと同じこと。全体の流れの把握が出だしの第一歩です。

センター試験の問題は、出題者がわざと難解な文章を準備しているのがよくわかります。わけのわからない横文字の固有名詞や社会、経済用語もたくさん出てきます。多くの生徒は、それだけでびびってしまいます。そうした固有名詞の人物を知らないから、困った、どうしようという気持ちになってしまうからです。

私は、とにかくそうした言葉が出てきた部分はすべて読み飛ばせ、と指導します。びびる必要はないのです。そうした部分は読み飛ばしても問題の解答を得るには不要な部分なのですから。大切なことは、文章全体をどう構造としてとらえられるか、その一点にかかっています。

国語の読解というのは、読書とは違うことがおわかりでしょう。読解というのは、数学の方程式の問題を解くのと同じで、解答をもとめるためのものなんです。読書とはアプローチのしかたが全く違うのです。

まだ続くかなウィンク

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