国語のチカラと批判精神 その1
まず、ここでいう国語のチカラ、というのは、学校の教科としての国語ではありません。学校の教科としての国語は、授業の中で教わったことのある文章についてテストが出題され、それによって成績がつきます。これは、国語のチカラではなく、真面目に授業を聞き、日本語が理解できるかというチカラです。
私がここでいう国語のチカラというのは、入試問題の国語の得点をしっかりと修められる実力と言うことです。まず、教科としての学校の国語の成績と入試での国語の問題を解くチカラは全く別だと言うことを知って下さい。
国語の入試問題の難易度というのはどこで決まると思いますか? それは、選択肢なんです。例えば、神奈川県の共通問題の国語と、湘南高校や翠嵐高校の独自問題の国語を比べてみて下さい。独自問題は記述問題がたくさんある、なんてことはありません。出題の形式や問題文の長さなどは共通問題とさほど変わらないのです。でも、独自問題の平均点は6割を切ります。かなりの実力を持つ生徒たちが受験してのことですから、いかに独自問題の難易度が高いかわかるでしょう。
選択肢の何が違うか。県の共通問題は、問題文を読まないでも、選択肢だけでほぼ解答がわかってしまいます。入試前には生徒たちによくやらせるのですが、勘のいい子は8割は正解できます。簡単に言うと、「いい子ちゃん解答」を選べばいいのです。学校の先生が言いそうな、道徳の教科書に書いてありそうな、これを言えばオトナにほめられそうな、そんなにおいのする選択肢が必ず正解になります。
湘南や翠嵐の国語の問題はそうはいきません。似たような言い回しの選択肢が並んでいます。それ以上に「いい子ちゃん解答」は逆に不正解になる可能性が大きくなります。これは、私立中学入試の問題やセンター試験をはじめとした大学入試の問題にも言えることです。難易度が高くなるほど、ひとすじなわではいかなくなっていきます。
いわゆる“批判精神”がもとめられるようになります。
批判精神って何でしょう。それは、情報を鵜呑みにしてない姿勢です。どんな意見に対しても「待てよ」と立ち止まって咀嚼しようとする態度です。さらに、まっさらな状態で相手の意見を聞く姿勢です。国語のチカラがある生徒はそうした姿勢を持っています。出来ない生徒ほど、ステレオタイプ的に「あっ、それわかった」と早のみこみしてしまいます。また、自分勝手に相手の考えをねじ曲げてしまいます。
国語のチカラは“批判精神”にあるのです。
例えば・・・ 続きます