南三陸町でのボランティア活動 その2

今日はあの日から2年以上が経過した被災地の様子を中心に書くことにします。

まずは南三陸町の防災対策庁舎です。すでにこの庁舎の周りには何もありません。すっかり片付けられてしまっています。南三陸町全体では死者566名、行方不明者223人といいます。津波はこの庁舎の屋上部分を洗っていきました。あのときの衝撃の映像を覚えていらっしゃる方もいるのではないでしょうか。この庁舎で四十数名の町職員の方が亡くなったとのこと。そんな庁舎も取り壊しが議論されているようです。やはりここで親しい人を亡くされた方たちにとっては早くなくなってほしいのでしょう。ただ、震災遺構として保存するべきでは、という意見もあるようです。

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つぎは気仙沼の向洋高校です。右側が新校舎だったようです。3月13日に移転予定だったのが、その2日前の3月11日に津波が押し寄せて2階部分まですべて破壊されてしまっています。津波の被害にあった建物は外見はきれいなのですが、中はすべて洗われてしまって破壊し尽くされているのが特徴です。この高校の生徒たちは今も仮校舎で授業を受けているようです。

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気仙沼の町です。とにかく何もないだだっ広い草原の中にとんでもなくでかい船があります。全長60メートル、330トンとのこと。津波で流されてきた船です。片付けるのには五億円がかかるとのこと。こちらも震災遺構として保存するか撤去するかで意見が分かれているようです。だだっ広い草原には震災前にあったはずの家屋の基礎だけが残っています。知らない人が見るときれいな原っぱですが、以前は人の生活が合った場所です。気仙沼の町での被害は、死者1040人、行方不明240人、住宅被害15751棟とのこと。

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そして、石巻の大川小学校です。全校児童108人のうち74人が死亡・行方不明になりました。先生も10名が亡くなっています。いろんな被災地を訪れましたが、ここは特別でした。涙が止まりませんでした。おそらく何が起こったのかわかならいまま子供たちは津波に流されていったのではないでしょうか。

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いまだにどうしてこんなに悲惨な出来事が起こったのかの検証は終わっていません。少なくともここで起こったことはある意味での人災であることは事実のようです。二度とこうした悲劇が起こらないようにしっかりとした検証がされるべきです。

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3.11は私たちの心の中で風化しつつあるのではないでしょうか。それではいけません。語り継がねばいけないことがたくさんあるはずですし、考え続けなければいけないこともたくさんあるはずです。忘れられはじめているいまだからこそ、もう一度しっかりととらえなおしてみませんか?