部活動と体罰
たかが部活動だ。こうしたいい方をすると怒る方もいらっしゃるだろうが、それでもあえていいたい。たたかれたことで発憤することはあるだろう。結果が出ることもあるだろう。でも、その先に何があるのだろう。強い部活動を求める先には、顧問の口利きによって大学進学を、といったこともあるのだろう。そうでなくても、成績を残すことで進学を有利にといった思いもあるのだろう。私はそうした進学を否定しているのではない。ただ、それは結果として「そうなった」というものであるべきだ。
高校時代に一所懸命に部活動に打ち込み、その結果として大学へ進学できたとすれば、それはその子の才能であり努力の結果だ。ただ、それを目的化してはいけない。あくまでもその競技が好きで、その競技に打ち込んでいたら結果がついてきた。結果を目的化してしまい、さらにはその先に進路をつなげてはいけない。そんなことをしていると、ふと立ち止まったときに「からっぽ」な自分がいるだけになってしまう。
大事な観点は、あくまでも主体性だ。これは勉強でも同じことだ。何をするにしても「自ら」が主人公であり、「自ら」が選択者であり、「自ら」が行動者であるべきだ。であれば「たたかれて発憤する」なんて他動的な動機づけはあり得ないことになる。指導者はそうした個の主体性をいかに上手にたばねるか、という手腕こそが問われるべきなのだ。
一昨日も書いた(先生が立ち去る職場)が、先生方を取り巻く環境は厳しいモノだと思う。モチベーションを高く持とうにも、それを阻害することばかりがふってくるような状況かと思う。部活動をがんばって指導されている先生の多くは、本当に子どもが大好きな良い先生のはずだ。こうした事件がマスコミで話題になればなるほど、そうした先生方に逆風が吹いていく。
ひとつだけ言えることは、学校に生徒をあずけるお父さん、お母さんの側で、もう一度「子どもと部活動」ということをしっかりと考える必要があるということだ。わが子と部活動ということにしっかりと意見を持ち、それを子供さんに伝えることが必要だ。