「やまゆり園の殺傷事件」と「2△時間テレビ」

わたしが子どもたちには見せたくないなぁ、と思うテレビ番組はいくつかあるのですが、そのひとつが「2△時間テレビ」です。もちろん私は見ていないので今年の中身についてあれこれ批評はできないのですが、番組後の情報を整理すると「やっぱりなぁ」と思うばかりでした。

なにが・・・

すでに多くの方にとっては過去の事件になってしまったのでしょうが、今年の7月に地元の相模原の障害者施設で起こった19人もの障害者の生命を奪った殺傷事件。あの事件の容疑者は「障害者はいなくなれば良い」「税金の無駄遣い」「障害者は世の中を不幸にする」といった主張をしているようです。朝日の小学生新聞にも、それ以来、通い慣れた通学路を歩いていても「誰かがおそってくるのではないか」と不安になっている障害者の話がでていました。

そんな微妙なタイミングでの番組だったわけです・・・

であれば、正面から「やまゆり園」での事件を取り扱う姿勢があってほしかったわけです。もちろん、あの番組のおかげでたくさんの寄付金が集まり、それが障害者の支援になっているメリットはあるでしょう。障害者が、あの番組の中では芸能人と一緒になって笑い、踊り、といった時間を共有することもできるでしょう。あの番組があることで、1年に1回は、みんなが障害者のことに思いをはせるきっかけにもなっているのでしょう。

ただ、もうそんなレベルではなく、普通に障害者と「共生」できる、そうした意識をひとりひとりが持てる社会でなければならないとわたしは思うのです。そのためには、あの番組を見ている障害者がどんな思いを持つのか、といったことも子どもたちには考えて欲しいです。もちろん、そうしたきっかけを番組が作ってくれているのでしたら良いのですが・・・ 

「やまゆり園の殺傷事件」も「2△時間テレビ」も同じ日本の社会で起こっている出来事です。そうした観点をもってみると、あの番組への違和感はぬぐえなくなってしまうのではないでしょうか。これからの時代。わかりやすいことが求められはするのでしょう。しかし、わかりやすいことには問題があることも、子どもたちにはしっかりとわかってもらいたいです。

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