息子の一時帰宅
昨晩帰宅すると、卒論研究のために和歌山に行っている息子がひと月ぶりに帰宅していた。といっても1日だけ。内定している会社の研修会のための帰宅だった。今日の研修会→懇親会に出席後白浜に戻るという。真っ黒に日焼けしていた。
落ち着いたところで酒を飲みながら話をする。
生け簀でハマチを500匹飼っているそうで、そのすべてに病原菌をうったり、ワクチンをうったり、毎日のえさの世話をしたり、データをまとめたり、といった毎日を過ごしているようだ。大きな施設のようで、自分の研究を手伝ってもらったり、他の人の研究を手伝ったりと、チームで動く毎日とのこと。またひとつ大きくなったような気がした。人は人によってしか育てられない。いろんな人と出会うことで成長していく。
日本の海は各地の漁協の持ち物といってもよい仕組みになっている。近畿大学はそうした法ができる以前から和歌山の海で実績を積んでいて、そうした経緯から今でも種苗生産を含めて、研究開発だけでなく、マグロの養殖等にも取り組めているのだそうだ。息子の大学でも、静岡でのウナギと長野でのニジマスの生産に関しては、独自ブランドでの生産が可能だとのこと。本来ならば、大学の研究施設と漁協、大手企業による水産物の生産、市場出荷という流れができることが良いのだろうが、農業と同じで漁業も構造的な問題があるようです。既得権を手放さない組織があると、新しい取り組みはなかなか進まないわけです。
「で、実験で使った500匹の魚は最後にどうするの?」
「殺すよ。病気にした魚を生かしとくわけにはいかないでしょ。」
「どうやって?」「生け簀に塩素入れれば死んじゃうでしょ。」
「お前たちって魚への愛情ってもんはないの?」
「もちろんあるさ」
「そうとは思えないけどなぁ」
話がはずんでちょっと?み過ぎました