彦根城

旅行記の後半です大笑い

13日は早くに長浜を出発して彦根へ。彦根城はほぼ城の縄張り全体が残っていて、国宝の天守閣をはじめとした多数の櫓が現存している。1600年の関ヶ原の戦いの後、西国への抑えということで徳川家康が譜代の井伊直政に築城を指示して作らせた。

8時30分の開場とともに大手口から登っていく。大堀切りは尾根を大きく断ち切って石垣を築いたもの。ぐるっとまわって橋を渡って重文の天秤櫓をくぐらないと本丸へは行けない構造になっている。

天秤櫓

天秤櫓を通り抜けると国宝の天守閣がそびえ立つ。小ぶりだが破風が多数つけられていて美しい。これらの破風は飾りとしてだけでなく、その裏側は小部屋になっていて戦時には兵士がこもって矢や鉄砲を撃てるようになっている。

彦根城天守

天守の内部を見学し、外でお掃除をしていたおじさんと話をする。「どうしてこの城は明治初めの廃城令で破却されなかったんですか?」という私の質問に、「明治天皇がこのあたりを行幸されたとき、大隈重信が『この美しい城は残すべきです』と直訴したそうなのです」と教えてくれた。すでに解体足場も組まれていたという。幸運な運命をたどった城なのだ。

ぐるっと城をめぐって藩主の下屋敷と庭園をめぐる。この大名庭園が本当にきれいだった。途中の東屋で薄茶をいただく。「井伊直弼と開国150年展」をやっていた博物館も見学。午前中いっぱいの時間をつかった。

庭園

車に乗って中山道を走る。途中、いくつかの宿場跡を見学。不破の関跡も見学する。ここは壬申の乱(672年)の激戦地。また、多くの和歌にも詠まれた場所。そこの資料館で関ヶ原の見学ルートを教えてもらう。とりあえず歴史資料館へ。その後、家康が首実検をした場所などを見て、最後に石田三成が陣をおいた小高い山へ。ここからは関ヶ原のすべてをながめられた。とにかく「狭い」という印象だった。ここに東西20万の軍勢が集まったら、まさしく『押し合いへし合い』といった状況だったろう。誰がどう動いたかなど、手を取るようにわかったはずだ。

関ヶ原

大垣城を見学したあと帰路についた。やはり現場にいかないと感じられないことがたくさんあった。収穫の多い旅が出来たウィンク

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