お祭りが終わりました
閉会式での「日本パフォーマンス」にはいろいろと考えさせられました。マリオ、どらえもん、キャプテン翼、といったキャラクターが登場し、光とデジタルを駆使したパフォーマンス、電子音の音楽・・・ 日本という国のイメージがそうしたものなんだなぁ、とあらためて思わされるとともに、これでいいんだろうか、といったちょっとした違和感も感じました。でも、椎名林檎さんをプロデューサーとしたのは良かったと思います。2020年の本番では、解散するスマップの香取慎吾さんあたりをプロデューサーとして開会式をやったらどうでしょう。香取さんはそっちの才能もすごいそうです。
祭りの間はとにかく連日のように「ドラマ」の押しつけがメディアを通じておこなわれました。できるだけ距離を置きたかったので、テレビは見ないようにし、紙ベースの情報を中心にしていました。今の時代、圧倒的な物量のテレビをはじめとした映像ベースの情報には引きこまれざる得ません。先日も書きましたが、ある一定の距離を置かないと巻き込まれてしまいます。必要な情報はこちらから取りにいき、できるだけ全方向に向かって発せられる情報は避けた方が良いかもしれません。
もうひとつ、気になったことです。
十代の若者を中心にしたオリンピックでの活躍を見て、日本の若者はずごいんじゃないか、といった意見もでているようです。それは違うと思います。多くの若者たちは、学校の体育でしか身体を動かさず、明らかに昔の若者よりも体力は落ちています。オリンピックで活躍している若者たちはエリートです。これらエリートと普通の若者の間には大きな溝があり、決して彼ら、彼女らが、今の日本の若者たちの姿を代表しているわけではありません。どちらかというと、そうした「格差」こそが、今の日本の若者たちの実態なのです。
グローバル社会では、全体の底上げではなく、一部のエリートを育成する仕組みの方が圧倒的に有利です。長いこと子どもたちの教育に関わっていますが、最近の子どもたちを取り巻く流れは確実にそうした方向に向かっています。公教育さえもが、一部のエリート養成に向かっていますし、それを世の中全体が容認する雰囲気も強いです。裾野が広く広がり、その中からオリンピックで金メダルを取るような若者が出てくる、というイメージではなく、もともと才能のある若者を発掘し、その若者を徹底的に鍛えていくといったイメージを描いてみて下さい。
それがこれからの時代です。その中での子育て。わたしが毎日向き合っている子どもたちは圧倒的に大多数の「普通の子ども」たちです。決して「エリート」の育成を真似てはいけないこと。そんなことをこのオリンピックを通じて感じさせられました。