国語の問題への取り組みかた

昨日の続きになります。

以前にも書いたことがあることなのですが、もう一度。

問題文に書かれている指示に従うことが、今のこどもたちは不得手だと昨日書きました。付け加えると、余計な自分の意見を差しはさむ「くせ」も今のこどもたちには共通に言えることです。

例えば、一昨日の中3生の入試問題演習でのことです。その時の論説文は「養老孟司/無思想の発見」という文章の一部でした。筆者の主張は「心に個性がある、という考えが世間に流布しているおかげで、“本当の自分”“自分探し”“ナンバーワンよりオンリーワン”など若者たちが妙なことを口走る。感情にも個性はない。感情は共感であり、怒りも、笑いも、悲しみも伝染する」といったものだ。こうした文章の趣旨は、あきらかに今のこどもたちの常識に反する。彼ら、彼女らは“ナンバーワンよりオンリーワン”に共感する世代だ。

こうした論説文が出題されると、生徒たちは「自分の常識」に照らし合わせて選択肢を選んでしまう。そして、そうした「ワナ」の選択肢は必ず用意されている。出題者の意図は明かで、自分の常識ではなく筆者の主張をしっかりと読み取れるか、を試そうとしているのだ。たとえば「・・多様な個性があることで人々は豊かな生活をおくれる。」などといった選択肢は文句なく「マル」になってしまう。しかし、筆者の主張とは全く相容れない。

こどもたちは正解はこっちだよ、と説明をしても納得いかない顔をする。その顔には「だってこの選択肢に書いてあることはあってるじゃん」と書いてある。あくまでも「自分の常識に適合している」が「あっている基準」になってしまっている。こうした考えを打ち破るのはなかなか大変だ。

国語の問題には正解がある。入試問題なのだからあたりまえだ。その正解は「筆者の主張に適合している」ことがすべての基準だ。ちょっと例えが悪いが、筆者が「人を殺すことは正しい」と文章中で主張していれば、世間一般の道徳から「正しくない」ことでも、国語の問題の選択肢では「正しい」ことになる。

まじめな生徒ほどそうした「常識」に縛られてしまい、筆者の主張を読み取れなくなりやすい。難易度があがるほど、一見常識にあっていて選んでしまう選択肢が増えてきます。そうしたワナに引っかからないように、これって常識的にはあってるでしょ、ふつうこれでしょ、といった選択肢にぶつかったときには慎重に本文内容と対照することです。国語読解においては、素直さは禁止です。いつも「ちょっとめんどくさいオヤジorオバサン」になって選択肢を見るクセをつけましょう。